足袋というのは祭りの時や、和装の時に必要な足履きです。
日本の伝統的な「靴下」と呼んでもいいかもしれません。
それなのに、この足袋の歴史について知っている日本人はあまりいないんじゃないでしょうか。
足袋の歴史というのは、非常に古いと言われます。
しかし、足袋の後ろを留める「コハゼ」には金具が使われていますし、地下足袋に関しては底にゴム素材が使われています。
となると、これらは一体いつ頃から使われ始めたのでしょうか?
最近は外国人の間でも足袋はジャパニーズシューズとして人気が集まっています。
日本人として足袋の歴史について知っておくと、外国人にも説明できますよね!
それでは、今日は「橋本屋祭館」の黒田専務に【足袋の歴史を詳しい解説】についてお話ししていただきましょう!
目次
・足袋の歴史は平安時代の「襪(しとうず)」から始まる
・足袋は戦国時代から江戸時代にかけて歴史と共に変遷していきました
・足袋のコハゼの歴史は比較的新しく「金」や「象牙」の物まであった
・江戸時代から現代までの足袋の歴史は改良の歴史
足袋の歴史は平安時代の「襪(しとうず)」から始まる
はい、黒田です。
今日は【足袋の歴史と詳しい解説】ということでお話をさせていただきます。
僭越ながら足袋の歴史についてお話すると足袋の歴史は非常に古く、奈良時代にはすでに原型が存在したと言われているんです。
中国から伝わった履物が元になったらしく、「襪(しとうず)」という風に呼ばれていたと聞いています。
その頃履かれていたものはヒモを前で縛るような、二枚の布を縫い合わせただけのもので、底部分はなく、足の先も分かれていなかったようです。
私の推測では、「しとうず」は足袋というよりも、貴族が室内履きの靴として使っていたんだと思いますね。
現在の「足袋」の面影が見え始めるのは、底がつくられ足指のついた足袋を使うようになった平安時代でしょうね。
おそらく草履を履いて外に出る時に必要になって生まれたんじゃないでしょうか。こちらは布ではなく、革製だったらしいです。
当時の足袋は皮革をなめして作られていて、足首のところについたヒモを結んで落ちないようにしていたようです。
革は耐久性に優れていますから、合戦や鷹狩にも革足袋は便利だったんでしょうね。
足袋は戦国時代から江戸時代にかけて歴史と共に変遷していきました
はじめは貴族や武家で使われていた足袋は、歴史と共に変遷していき、安土桃山時代には、男女に関わらず一般庶民の間でも使用するようになったと言います。
ちなみに江戸時代の初期に流行ったのは「紫足袋」と言って、紫色の革に赤や青などのヒモが使われた、かなりド派手な足袋だったみたいです。
木綿や絹素材の足袋が出回り始めたのは江戸の初期ですね。
そのあと「明暦の大火(1657年)」があって革の値段が高騰したんで、廉価な木綿が使われるようになったんです。
そして「革製よりも安いし履き心地がいい!」ってことで、急速に普及していったんですね。そして革の足袋は作業用として残っていったんです。
足首まで覆うくらい丈が長かった足袋も江戸の中期をすぎると、現在あるような短い足袋になって一般化したみたいですよ。
足袋のコハゼの歴史は比較的新しく「金」や「象牙」の物まであった
江戸時代までは足に革ひもで縛りつけて足袋を固定していたわけですけども、足袋を布素材で作るようになって、元禄時代には「コハゼ(甲馳)」というのが出てきたんです。
コハゼは、「小鉤」という書き方をすることもあります。
「コハゼ」というのは、足袋の後ろ側に縫い付けられた爪型の小さな留め具のことで、履く時もう一方の布の端にある掛け糸に引っ掛けて足袋を固定するんですよ。
現在のコハゼは真鍮などの金属製のものがほとんどですが、明治時代までのコハゼの素材は金や象牙、水牛の角、クジラ・鶴・鹿の骨や角が多く用いられていたどうです。
昔の衣類っていうのは、ゴムやチャックでとめたりっていうことはできませんでしたからね。この「コハゼ」の存在が非常に重要だったんですね。
「コハゼ」は足袋や地下足袋だけじゃなく、昔の旅人が身につけていた腕から手首までを守る手甲(てっこう)、すねに巻いて足を守る脚絆(きゃはん)などの衣類の布にも使用されているんですね。
「コハゼ」は江戸時代に誕生して、明治時代くらいに定着したと言いますから、意外と歴史が新しいんです。
しかし、足袋はコハゼがないとピチッと履けないですからね。
くるぶしの後ろ部分を留める金具は絶対に必要だということで、江戸時代から現在まで色々と改良され続けているんですよ。
もっと知りたい人は「足袋のコハゼ(甲馳)って何?」を御覧ください。
江戸時代の後、足袋は一気に全国的に普及していったです。
現在でも足袋の町として有名な行田なんかじゃあ、江戸時代から明治時代にかけて何千万足と足袋が作られていたって言いますからね。
江戸時代から現代までの足袋の歴史は改良の歴史
足袋から靴下へ
江戸から明治にかけて足袋づくりは非常に盛んだったわけですけども、その後は日本人の服が和服から洋服に変わっていくんですね。
そして足袋全盛時代から靴下時代に向かって、少しずつ変遷していったのじゃないかなと思いますね。
靴下の歴史は以外に古くて、富豪や貴族の人は江戸の時代から使っている人もいたみたいですね。
でも、それを庶民が使うようになったのは明治に入ってからです。
軍人が軍足靴下を履いていたところから、靴下を履く習慣が一般化したと言います。
やはりブーツだと足袋より靴下の方が納まりが良かったんでしょうかね。
明治から大正、そして昭和にかけて服がどんどん洋装に移り変わり、草履よりも靴を履くことが多くなるに従って、足袋よりも靴下を使用する人が増えていった、ってことですね。
地下足袋の普及
地下足袋っていうのは、江戸時代の後期にはもう現在のような形で存在したんですね。
昔から使っていた革足袋が進化したんじゃないか、と言われています。
ただ、地下足袋の底の部分がゴム底の形状になったのは、ゴムが普及された明治の初期です。
明治の15年頃に江戸・神田末広町の「松田商会」という屋号の店が、職人さんや農家向けに専売特許をとって売り出したのが【ゴム底地下足袋の元祖】と言われてます。
昭和の初めまでは、労働作業者を中心として使われていた地下足袋ですけども、戦後になって一気に広まっていくんですね。
その後の地下足袋は、更に軽く、更に滑りにくく、更に疲れにくくと、どんどん開発がされていってエアー入り地下足袋まである今に至るわけですね。
ただ、昔っから続いている伝統的なお祭りでは、やはり今でも岡足袋を履きますからね。
地下足袋を履いてやるお祭りというのは、どちらかというとちょっと新しいお祭りが多いのかなという風に感じております。はい。
本日は【足袋の歴史と解説】をさせていただきました。
ありがとうございます!
足袋の歴史は本当に古いんですね。
靴下の歴史も思ったより古いですが、それでも靴の使用が主流になるまで足袋が使われ続けたのは、やはり日本人の伝統的な生活にはピッタリくる履物だったからでしょうね!
足袋や地下足袋の歴史を知って、その魅力を再確認できたのではないでしょうか?
私達の誇り「ジャパニーズシューズ」の文化を継承して行きましょう!
足袋というのは祭りの時や、和装の時に必要な足履きです。
日本の伝統的な「靴下」と呼んでもいいかもしれません。
それなのに、この足袋の歴史について知っている日本人はあまりいないんじゃないでしょうか。
足袋の歴史というのは、非常に古いと言われます。
しかし、足袋の後ろを留める「コハゼ」には金具が使われていますし、地下足袋に関しては底にゴム素材が使われています。
となると、これらは一体いつ頃から使われ始めたのでしょうか?
最近は外国人の間でも足袋はジャパニーズシューズとして人気が集まっています。
日本人として足袋の歴史について知っておくと、外国人にも説明できますよね!
それでは、今日は「橋本屋祭館」の黒田専務に【足袋の歴史を詳しい解説】についてお話ししていただきましょう!
目次
・足袋の歴史は平安時代の「襪(しとうず)」から始まる
・足袋は戦国時代から江戸時代にかけて歴史と共に変遷していきました
・足袋のコハゼの歴史は比較的新しく「金」や「象牙」の物まであった
・江戸時代から現代までの足袋の歴史は改良の歴史
足袋の歴史は平安時代の「襪(しとうず)」から始まる
はい、黒田です。
今日は【足袋の歴史と詳しい解説】ということでお話をさせていただきます。
僭越ながら足袋の歴史についてお話すると足袋の歴史は非常に古く、奈良時代にはすでに原型が存在したと言われているんです。
中国から伝わった履物が元になったらしく、「襪(しとうず)」という風に呼ばれていたと聞いています。
その頃履かれていたものはヒモを前で縛るような、二枚の布を縫い合わせただけのもので、底部分はなく、足の先も分かれていなかったようです。
私の推測では、「しとうず」は足袋というよりも、貴族が室内履きの靴として使っていたんだと思いますね。
現在の「足袋」の面影が見え始めるのは、底がつくられ足指のついた足袋を使うようになった平安時代でしょうね。
おそらく草履を履いて外に出る時に必要になって生まれたんじゃないでしょうか。こちらは布ではなく、革製だったらしいです。
当時の足袋は皮革をなめして作られていて、足首のところについたヒモを結んで落ちないようにしていたようです。
革は耐久性に優れていますから、合戦や鷹狩にも革足袋は便利だったんでしょうね。
足袋は戦国時代から江戸時代にかけて歴史と共に変遷していきました
はじめは貴族や武家で使われていた足袋は、歴史と共に変遷していき、安土桃山時代には、男女に関わらず一般庶民の間でも使用するようになったと言います。
ちなみに江戸時代の初期に流行ったのは「紫足袋」と言って、紫色の革に赤や青などのヒモが使われた、かなりド派手な足袋だったみたいです。
木綿や絹素材の足袋が出回り始めたのは江戸の初期ですね。
そのあと「明暦の大火(1657年)」があって革の値段が高騰したんで、廉価な木綿が使われるようになったんです。
そして「革製よりも安いし履き心地がいい!」ってことで、急速に普及していったんですね。そして革の足袋は作業用として残っていったんです。
足首まで覆うくらい丈が長かった足袋も江戸の中期をすぎると、現在あるような短い足袋になって一般化したみたいですよ。
足袋のコハゼの歴史は比較的新しく「金」や「象牙」の物まであった
江戸時代までは足に革ひもで縛りつけて足袋を固定していたわけですけども、足袋を布素材で作るようになって、元禄時代には「コハゼ(甲馳)」というのが出てきたんです。
コハゼは、「小鉤」という書き方をすることもあります。
「コハゼ」というのは、足袋の後ろ側に縫い付けられた爪型の小さな留め具のことで、履く時もう一方の布の端にある掛け糸に引っ掛けて足袋を固定するんですよ。
現在のコハゼは真鍮などの金属製のものがほとんどですが、明治時代までのコハゼの素材は金や象牙、水牛の角、クジラ・鶴・鹿の骨や角が多く用いられていたどうです。
昔の衣類っていうのは、ゴムやチャックでとめたりっていうことはできませんでしたからね。この「コハゼ」の存在が非常に重要だったんですね。
「コハゼ」は足袋や地下足袋だけじゃなく、昔の旅人が身につけていた腕から手首までを守る手甲(てっこう)、すねに巻いて足を守る脚絆(きゃはん)などの衣類の布にも使用されているんですね。
「コハゼ」は江戸時代に誕生して、明治時代くらいに定着したと言いますから、意外と歴史が新しいんです。
しかし、足袋はコハゼがないとピチッと履けないですからね。
くるぶしの後ろ部分を留める金具は絶対に必要だということで、江戸時代から現在まで色々と改良され続けているんですよ。
もっと知りたい人は「足袋のコハゼ(甲馳)って何?」を御覧ください。
江戸時代の後、足袋は一気に全国的に普及していったです。
現在でも足袋の町として有名な行田なんかじゃあ、江戸時代から明治時代にかけて何千万足と足袋が作られていたって言いますからね。
江戸時代から現代までの足袋の歴史は改良の歴史
足袋から靴下へ
江戸から明治にかけて足袋づくりは非常に盛んだったわけですけども、その後は日本人の服が和服から洋服に変わっていくんですね。
そして足袋全盛時代から靴下時代に向かって、少しずつ変遷していったのじゃないかなと思いますね。
靴下の歴史は以外に古くて、富豪や貴族の人は江戸の時代から使っている人もいたみたいですね。
でも、それを庶民が使うようになったのは明治に入ってからです。
軍人が軍足靴下を履いていたところから、靴下を履く習慣が一般化したと言います。
やはりブーツだと足袋より靴下の方が納まりが良かったんでしょうかね。
明治から大正、そして昭和にかけて服がどんどん洋装に移り変わり、草履よりも靴を履くことが多くなるに従って、足袋よりも靴下を使用する人が増えていった、ってことですね。
地下足袋の普及
地下足袋っていうのは、江戸時代の後期にはもう現在のような形で存在したんですね。
昔から使っていた革足袋が進化したんじゃないか、と言われています。
ただ、地下足袋の底の部分がゴム底の形状になったのは、ゴムが普及された明治の初期です。
明治の15年頃に江戸・神田末広町の「松田商会」という屋号の店が、職人さんや農家向けに専売特許をとって売り出したのが【ゴム底地下足袋の元祖】と言われてます。
昭和の初めまでは、労働作業者を中心として使われていた地下足袋ですけども、戦後になって一気に広まっていくんですね。
その後の地下足袋は、更に軽く、更に滑りにくく、更に疲れにくくと、どんどん開発がされていってエアー入り地下足袋まである今に至るわけですね。
ただ、昔っから続いている伝統的なお祭りでは、やはり今でも岡足袋を履きますからね。
地下足袋を履いてやるお祭りというのは、どちらかというとちょっと新しいお祭りが多いのかなという風に感じております。はい。
本日は【足袋の歴史と解説】をさせていただきました。
ありがとうございます!
足袋の歴史は本当に古いんですね。
靴下の歴史も思ったより古いですが、それでも靴の使用が主流になるまで足袋が使われ続けたのは、やはり日本人の伝統的な生活にはピッタリくる履物だったからでしょうね!
足袋や地下足袋の歴史を知って、その魅力を再確認できたのではないでしょうか?
私達の誇り「ジャパニーズシューズ」の文化を継承して行きましょう!