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豊田市の配送情報・お祭り情報

豊田市の配送情報・お祭り情報

豊田市で開催されるお祭り情報をご紹介致します。
また、お祭り用品が豊田市へ届くまでの最短お届け時間についてもご確認いただけます。

豊田市のお祭り一覧

足助祭り

足助祭り

足助祭り

開催日時
例年10月第二土曜日・日曜日
開催地
足助八幡宮周辺
神社名:足助八幡宮
〒444-2424
愛知県豊田市足助町宮ノ後13
TEL.0565-62-0516
アクセス
【電車】
・名鉄豊田線「浄水」駅より、とよたおいでんバスさなげ足助線(百年草行)に乗換え、「香嵐渓」バス停下車。
・名鉄三河線/豊田線「豊田市」駅より、名鉄バス矢並線(足助行)に乗換え、「香嵐渓」バス停下車。
・名鉄本線「東岡崎」駅より、名鉄バス岡崎・足助線(足助行)に乗換え、「香嵐渓」バス停下車。
【車】
・猿投グリーンロード「力石IC」から約15分
・東海環状自動車道「豊田勘八IC」から約20分

足助祭りとは

見どころは、立派かつ大迫力の山車巡行。
各地区の山車がそれぞれ出発し、祭りの勢いが最高潮に達する「梵天取り」と呼ばれる儀式が行われます。
町内では、家内安全等のお守りとして誰もが欲しがり、時には取り合いの喧嘩になるくらいに大変人気があります。
また、1日目の試楽祭の夜にに見られる明かりの灯った山車も、昼間とは違い幻想的な雰囲気を醸し出しています。

足助八幡宮 の御祭神

品陀和気命(ほんだわけのみこと=応神天皇)
帯中日子命(たらしなかつひこのみこと=仲哀天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)
※ 現在は他に5柱を合祀している。

足助八幡宮 の御由緒

伝承によれば創建は天武天皇の御代、白鳳3年2月21日とされる。
一般には西暦663年とされるが、足助八幡宮では673年としている(白鳳の項を参照)。
また明治元年(1868年)の神仏分離までは境内に神宮寺があり、現在も鐘楼だけが残されている。
大鳥居は寛政12年(1800年)に改築されたもので、宮町交差点拡張工事に伴い平成14年(2002年)に正面から現在地に移動した。
「足助」の名称から転じて、旅行・交通安全・足に関すること全般に利益があるとされている。

足助春まつり(足助神社例祭・重範祭)

足助春まつり(足助神社例祭・重範祭)

足助春まつり(足助神社例祭・重範祭)

開催日時
2021年4月10日(土)・11日(日)
開催地
神社名:足助神社
〒444-2424
愛知県豊田市足助町宮ノ後12
TEL.0565-62-0516
アクセス
【電車】
・名鉄豊田線「浄水」駅より、とよたおいでんバスさなげ足助線(百年草行)に乗換え、「香嵐渓」バス停下車。
・名鉄三河線/豊田線「豊田市」駅より、名鉄バス矢並線(足助行)に乗換え、「香嵐渓」バス停下車。
・名鉄本線「東岡崎」駅より、名鉄バス岡崎・足助線(足助行)に乗換え、「香嵐渓」バス停下車。
【車】
・猿投グリーンロード「力石IC」から約15分
・東海環状自動車道「豊田勘八IC」から約20分

足助春まつり(足助神社例祭・重範祭)とは

足助地区中心部にある7つの町(親王町、田町、本町、新町、西町、宮町、松栄町)が花車を出し、町内を引廻します。
この花車は、桜、藤などで美しく飾られており、10代までの女の子が囃子方の笛に合わせて太鼓をたたき、歌を歌います。
そして、若連と呼ばれる20代が中心の男衆が花車の梶をとり、足助の町並みを練り歩きます。
男性的で勇壮な秋祭りに対し、春まつりは、華やかな女の子の祭りといわれています。

足助神社 の御祭神

足助次郎重範公

足助神社 の御由緒

元弘元年元弘の変(1331年)に、後醍醐天皇に味方して、笠置山(京都)籠城軍3千人の総大将となった足助次郎重範を祀っている。
重範は飯盛山城を本城とした足助氏の惣領で、弓の名手として名高く、笠置で強弓を以って奮戦する様子が「太平記」に書かれている。
落城の際、捕らわれて、翌年京都六条河原で斬首されたが、明治天皇より贈位もあり、足助神社として祀るようになった。
創建は明治35年(1902)と比較的新しい神社です。

挙母まつり

挙母まつり

挙母まつり

開催日時
毎年10月第3日曜日とその前日
開催地
下町地区、樹木地区、挙母神社、城門跡、豊信本店前交差点、豊田市駅前、矢作川河川敷
神社名:挙母神社
〒471-0023
愛知県豊田市挙母町5-1
TEL. 0565-32-0718
アクセス
【電車】
地下鉄「名古屋」駅から、「鶴舞」駅で鶴舞線に乗り換え「豊田市」駅下車。徒歩約10分
【車】
東名高速道路「豊田IC」より約15分

挙母まつりとは

「おぃさー」のかけ声のもと、大量の紙吹雪が舞う中を山車が練り歩く様が圧巻の挙母祭り。 荒々しく躍動的な力強さと、八輌の山車や紙吹雪による華やかさを兼ね備えた、三河地区でも有数のお祭りです。
起源は古く、江戸時代後期から明治初期に今の形になったと言われ、挙母城下の心意気が今に伝えられています。
祭りは2日間にわたり、「試楽祭」と「本楽祭」が行われます。試楽祭では、8輌の見事な山車がそれぞれの町内を曳きまわり、夜は挙母神社において、8つの町の人々が提灯をもって五穀豊穣を祈願して境内を7周する「七度参り」が行われます。2日目の本楽祭で、奉納のために挙母神社に一斉に集まり、花火の号砲を合図に、紙吹雪とともに曳きまわります。
愛知県の有形民族文化財、豊田市の指定文化財に指定される8輌の山車が、そろって挙母神社に奉納される姿は、まさに壮観です。

挙母神社 の御祭神

高皇産靈神(たかみむすびのかみ)
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々藝尊(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)
天萬栲幡千幡比売命(あめよろずたくはたちはたひめのみこと)
天之水分神(あめのみくまりのかみ)
国之水分神(くにのみくまりのかみ)

挙母神社 の御由緒

神社の創建については諸説ありますが、一般的には1189(文治5年)源義経の家臣鈴木重善(善阿弥)が、熊野より奥州の義経のもとに向かう途中、この地で義経討死の訃報を聞きここに留まり隠れ住んだ。その後大和吉野より「子守明神」を勧請してここに祀った、といい伝えられています。(挙母記・鎌倉実記)
「子守明神」は江戸時代「子守大明神」と呼ばれ、歴代の挙母藩主が敬い、またこの地方の庶民の崇敬の中心となっていました。
明治4年「挙母神社」と改称され現在に至っています。
挙母神社は別名「子守の宮」と呼ばれるように、子供の成長の守り神として昔より「おこもりさん」と呼ばれ、親しまれてきました。

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